[鬼頭]This is‘our music hour’

さぁ!いよいよ本番まで1週間となったKITO,Akira BrassBand!コンサート「アワーミュージックアワー」
「我々の音楽ってなに?」ってみなさんの疑問にリーダー自ら答えましょう!
           

「アワーミュージックアワー」というタイトルが付いた今年のコンサート。
語呂あわせと言うか、駄洒落のようなタイトルを見て「また鬼頭が」と思った人も多いだろうけど・・・
違います!
プロデューサーの命名です。
で、そのタイトルが決まったという知らせを受けて、コンサートの為の新曲作りや全体の構成を考えるにあたって、普段から「This is our music!」などとステージで言ってるんだけど、改めて「アワーミュージックって?」って事を考えてみた。
とりあえず「KABB!の最大の特徴は?」という問いに対する答えが「我々の音楽」を言い表すのに最もな気もするのだが、おそらく多くの人が「全曲、鬼頭が作ったオリジナル曲」という部分をあげるだろう。
でも、「俺の作った曲をやってるから」で「我々の」になるか?っていうとそうじゃない。
たとえば俺の曲の楽譜が出版されて、全曲それだけでコンサートを開く楽団が現れて、最後には「This is our music!」なんてところまで真似されても、俺は
「違う違う違う!」と止めに入らなくてはいけない。
吹奏楽などの音楽の場合、「作曲者」や「演奏家」の音楽ではなく「指揮者の音楽」になる事が多い。
モチロンそれはそれでおもしろく曲も楽団も同じなのに「指揮者が変わるだけで!」という楽しみ方があるのはわかる。
でも、俺はKABB!のフロントに立つ時、ライブという「リアルタイムの音楽」に指揮者の支配力をそこまで意識しない。
言うなれば「エッフェル塔に行きましょう」という目的があって。
「ツアーコンダクター」という言葉があるとおり、その道順や利用する乗り物を決めて目的地に連れて行くのが「指揮者」なんだと思うけど。
俺は、あんまりそういう旅行は好きじゃない。
モチロン、KABB!にも全員に「エッフェル塔に行こう」という意思はある。これが「楽譜」にあたる部分で「行く場所」ってのは俺が決める。
でも「どうやって行くか」ってのは、みんなにまかせる。
それまでいろんな場面でそれぞれが経験した事を踏まえて(これが、聴いてきた音楽や参加したバンドにあたる部分)歩いて行こうって人もいるだろうし、バスや地下鉄、タクシーで楽しようとする人もいるだろうけど、それは個人に任せる。
ただし「何時にエッフェル塔集合!」ってのは絶対守るのがルール。
その中で、自分でたどり着くのが心配そうな人にはちょっとしたアドバイスをしたり。無理難題を言ってもできそうな人には「後ろ向きに歩いて来てよ」とか「最低3回食事してから来てよ」ってのをやってるのだ。
「俺の音楽」っての「俺の作った曲」ではなくて、そういった「やり口」の事なのだ。
その「やり口」を実現するのに必要なのが「我々」であるメンバーなのだ。
俺は「KABB!の最大の特徴」は「さまざまな多様性を内包している」という事と「それを最大限に生かそうとしていること」だと思っている。
曲調など音楽性の事もモチロンだけど、大きいのは人間。
そりゃ、人が集まればいろんな個性があって「多様性」なんて当たり前なんだけど、あえてそれを前面に出さない「匿名性」みたいなことを打ち出す場合もあるから。
だから、俺の作った曲をやってるからって「鬼頭さんの音楽をやってる」じゃなくて、俺がそういう考えで音楽をやってるってことを理解したうえで「我々の音楽」と力強く言って欲しいと思って「This is our music!」と叫んでいる。
そうやって考えると曲なんて誰が作ったものでもいいのかもしれない。
そうは言っても、俺はこのバンドのための曲を作る。
「どうして大編成の形態が好きなの?」と聞かれたら「パズルのピースが集まってできた絵のようだから」って答えるだろう。
大勢のメンバーが一人ひとり、ひとつしか音の出ない楽器を持ち寄って作り出す「絵」に他にはない魅力を感じる。
コンサートも「パズルのピースが集まってできた絵のようなもの」じゃないか?
タイトルが決まる、それにあわせた曲が出来上がる、それを演奏する音楽家が集まる・・・
会場が決まる、舞台や演出のプランを考える、製作責任者や舞台監督が具体化していく、衣装を考える・・・
チラシをデザインする、チケットが刷り上る、それを求めるお客さんが集まってくる・・・
それらがすべて組み合わさってできあがった「絵」を「アワーミュージック」だと思ってる。
「我々の音楽」とは、単に楽曲の事でもないのだ。そして会場に集まったお客さんも「我々」の一員なのだ。
で、コンサートという「絵」を作る上でもっとも生きてくるのが「全曲、鬼頭が作ったオリジナル曲」という特徴。
たとえば、いろんな作曲家の曲を演奏するコンサートの場合。
曲の順番でプログラムにメリハリをつけたりすることは可能だけど、すべての曲が「単体として」完結しているものを集める事になる。
たとえて言うなら「弁当を3つも4つも食べる」ような感覚。
もちろん、俺の曲も単体で起承転結のようなものは付いているけど、コンサートそのものがひとつの組曲になるように考えて作っている事が多い。
「おかずの種類が多い幕の内弁当」みたいになるように。
だから、特に「序曲」とも言えるオープニング曲や「ハイライト」とも言えるエンディングにはこだわるし、毎回書き下ろすことにしてる。
それから、今回は開場から開演までの間、終演後に場内で流れるBGMもオリジナルで作ってみた。
前菜とデザートまでついた豪華な弁当なのだ。
その「前菜」は今回の「アワーミュージックアワー」に対する俺なりの考えである「多様性を構築していく」だとか「パズルのピースが集まっていく様」みたいな事を表現してみた。
それを踏まえた上で「ハイライト」となるエンディング曲のサビ部分にコンサートの中で一番「伝えたいこと」を持ってくる。
フルコースの料理だって、単品それぞれに高い完成度があるけれど「メインディッシュ」を最高潮とした味付けや順番になってる。
こういった献立というかプログラムを考えるのは曲を作る時以上にパズルのピースを組み合わせていくようで楽しい。
これがやりたいから、このバンドのために曲を作ってるといってもいいかもしれない。
ひとつひとつ撮影したシーンをつなぎあわせて、一本の映画にするような行為。
俺が、普通の楽団なら「指揮者」の位置にいながら「コンダクター」を名乗らず、さらに「ディレクター」ではなくて「ディレクション」という肩書きをつけているのは、そういった意味だったりする。
映画などではモチロンひとつひとつのシーンにも感想を言う事はあるけれど、やっぱり「全体を通してどうだったか?」という部分が大きいと思う。
さまざまな多様性を内包しつつ、それが全部つながった時に「なるほど!」と思える。
そんなことを重要視してるのも「我々の音楽」なのである。

Come on our music hour!
これまでも「こんな吹奏楽団みたことない!」と「我々的」にはトンチンカンな感想をたくさんいただいておりましたが・・・
単に曲をならべた演奏会ではなくホールに足を踏み入れた時からはじまる「一大絵巻物」のような展開は「こんなコンサート見たことない!」という問題作であり、まちがいなく「我々史上」最高傑作!
今回も「同じ事はやらない」という「我々主義」で見逃すと二度とチャンスのないスペシャルな一夜になる事間違いなし!
KABB! schedule

鬼頭哲http://kito-akira.com